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1962年自由民主党総裁選挙

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1962年自由民主党総裁選挙

1960年 ←
1962年7月14日
→ 1964年

選挙制度 決選投票制
有権者数 党所属衆議院議員:(不明)
党所属参議院議員:(不明)
地方代議員票  :46
合計      :(不明)

 
候補者 池田勇人 佐藤栄作 一万田尚登
投票 391 17 6




 
候補者 岸信介 藤山愛一郎 吉田茂
投票 5 3 2

 
候補者 福田赳夫 高橋等 正力松太郎
投票 2 1 1

選挙前総裁

池田勇人

選出総裁

池田勇人

1962年自由民主党総裁選挙(1962ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1962年昭和37年)7月14日に行われた日本自由民主党党首である総裁選挙である。

概要

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現職の池田勇人総裁の任期満了に伴う選挙である。

前回の総裁選十日会岸信介派)、周山会佐藤栄作派)の土壇場での支持表明の後押しを受けて勝利した池田政権は、任期前半(第1次池田内閣および第2次池田内閣)では両派を重用、反主流派(特に政策研究所三木武夫派)と春秋会河野一郎派))を政権中枢から締め出した。が、任期後半(改造内閣)では全派閥から閣僚を迎える「実力者内閣」を構成。これを不満に感じた岸・佐藤は、反・池田の動きを見せ始め、次なる総裁選での佐藤出馬、池田打倒を標榜する。

1962年1月30日、党内グループ「党風刷新懇話会」が結成される。主意書では、派閥打破と党近代化が呼びかけられた。5月7日の設立総会を経て、27日に発表されたパンフレットでは、1960年の安保闘争における左派陣営の組織力を引き合いにして「保守勢力も近代政党として脱皮を遂げ、運営も組織も一新しない限り、やがて容共勢力に押しつぶされてしまう」として、各派への合流を呼びかけた[1]。同会は表向きは全党に向けた声明であったが、派閥横断的に支持を集めていた池田に対する岸・佐藤両派の工作の面が強く、主流派の宏池会(池田派)、睦政会大野伴睦派)、河野派の各派は、所属議員の入会禁止を通達。同会は予想にたがわず岸派の後継である福田赳夫が中心メンバーとなり各派に参入および小選挙区制度の導入を説いたが岸・佐藤派以外の動きは鈍かった。佐藤本人は出馬すべきか迷っていたが、池田派もう一期続投しないと納得しないこと、いま佐藤を勝機のない状態で無理に立候補させても、党が動揺するだけで佐藤のためにもならないことから、派幹部の田中角栄政調会長らが引き留めて、佐藤派立候補を断念する[2]

この他、岸派から割って出て独立系候補として立候補を繰り返していた藤山愛一郎も立候補を検討していたが、大野副総裁から「この次は支持する」と説得され、立候補を取りやめた[3]

かくして、実力者が立候補を見送ったため、実質的に再選を目指した池田の信任投票となった。

選挙データ

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総裁

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  • 選挙前:池田勇人(第4代)
  • 選挙後:池田勇人(第4代)

投票日

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  • 1962年(昭和37年)7月14日
第11回臨時党大会で実施。

選挙制度

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総裁公選規程に基づく公選
投票方法
秘密投票、単記投票、1票制
選挙権
党所属国会議員、党都道府県支部連合会地方代議員[注釈 1][注釈 2][4]
1962年1月に規定が改正され、2票から1票に削減。
被選挙権
党所属国会議員
有権者
(不明)
  • 党所属衆議院議員:(不明)
  • 党所属参議院議員:(不明)
  • 地方代議員   :046

選挙活動

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候補者

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立候補制ではなかったものの、選挙活動した国会議員。

池田勇人
衆議院議員
(6期・広島2区
内閣総理大臣(1960-現職)
党総裁(1960-現職)
宏池会
(池田派)
広島県

選挙結果

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第1回総裁選から1972年(昭和47年)の第12回総裁選までは立候補制ではなかったため、自民党所属の国会議員への票はすべて有効票として扱われた。

候補者別得票数

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e • d  1962年自由民主党総裁選挙 1962年(昭和37年)7月14日
候補者 得票数 得票率
池田勇人 391 91.36%
佐藤栄作 17 3.97%
一万田尚登 6 1.40%
岸信介 5 1.17%
藤山愛一郎 3 0.70%
吉田茂 2 0.47%
福田赳夫 2 0.47%
高橋等 1 0.23%
正力松太郎 1 0.23%
総計 428 100.0%
有効投票数(有効率) 428 %
無効票・白票数(無効率) %
投票者数(投票率) %
棄権者数(棄権率) %
有権者数 100.0%
出典:朝日新聞

脚注

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注釈

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  1. ^ 各都道府県支部連合会に1票ずつ。
  2. ^ 米軍統治下の沖縄県の代議員は選出されてない。

出典

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  1. ^ 升味 1985, pp. 117–118.
  2. ^ 升味 1985, pp. 119–120.
  3. ^ 升味 1985, pp. 120–121.
  4. ^ 上神貴佳「党首選出過程の民主化 : 自民党と民主党の比較検討」『年報政治学』第59巻第1号、日本政治学会、2008年、1_220-1_240、doi:10.7218/nenpouseijigaku.59.1_220ISSN 054941922022年9月16日閲覧 

参考文献

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外部リンク

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